GWは師匠と三倉へ。
〈毎日とってもいいお天気でした〉
約一週間経った今も、身体に余りチカラがはいらず、全身疲労になやまされている…笑
まるで富士山のシーズン明けのような、体重は軽くなっているのに、身体が鈍りのように重い現象。
三倉ツアーでは、私には厳しい課題ばかりで完登について真剣に考える度に、小学中学校通算約10年ほど頑張っていたバレーボールの事を思い出していた…笑
"自分には無理だと思っていた時間差のトスや、フェイント攻撃\\\も猛特訓することによってできるようになったこととか"
"バレーボールとは直接関係ないが、部活前後に自主的にランニングや縄跳びをしていて、そのお陰なのか?マラソン大会では常に1桁入賞で、市のマラソン大会に出場していたこととか"
"自分のサーブに勝敗を委ねられていた引退をかけた夏の総体。自分の連続サービスエースで5点を取り、残り2点で同点の場面でボールがネットにかかり、試合終了。ただし自分としては、雑音が全く入ってこないほどの集中力と普段ではありえないキレのあるサーブが打てたので、悔しさと不思議さの入り混じる苦い記憶とか…"
過度な努力をすれば、必ずそれなりにできるようになるというイメージが自分の根底に常にあるのは、バレーボールに真剣に取り組んでいたお陰かもしれない。
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ちなみに
チームとしては、小、中共に市内大会では上位でも県大会では全く歯が立たないくらいのチームだったけれども。
小学校3年生の頃から、中学校3年生の頃まで、ずっとセッターのレギュラーで頑張っていたあの頃。
中学校に上がってからは、1年生から一つ上の先輩のチームのレギュラーだったので、特に努力していた。
セッターになったのは、運動神経が鈍くアタッカーになれなかったからであり、(今考えるとそういう理由でもない気もするが…笑)
とにかく普通の人よりも努力しないと、レギュラーから外されるという気持ちが強くあった。
自主練習をするのは才能がない為、当たり前で、
ちょっと運動神経がいい後輩が現れると、自主練習量をがむしゃらに増やし、運動量に見合わない食事量で過激な減量をしたりと稚拙な努力をしていた。
しかし、自分に課した課題と人と比較し続けるプレッシャーの所為で中学の部活を引退する頃にはバレーボールは一生やりたくないと思うようになり、高校時代は運動とは無縁の学生時代を過ごした。
ちなみに、大学生になり、自分の人生が余りにも平凡でつまらなく感じ、日常生活を180度変えたいと考えて、探検部に入ったという経緯がある…笑
しかしながら、バレーボールで学んだことはクライミングで生きていると思うし、頑張れば必ず完登できる思うエネルギーの源は、頑張れば結果が出ることを知っているからだと思う。
最近はようやく頑張り方を考えられるようになってきたし、まだまだ自分の可能性を感じるし、何より人との競争意識がほとんど皆無になったので、クライミングを辞めたいとは全く思わないし、今後も思わないと思う。
なんだか探検部よりも、バレーボールに近い感じがしてきた気がするのは、
スポーツとして真面目にクライミングに取り組めるようになってきたからかもしれない。
師匠に弟子入りを試みた2015年の春からは、大好きだったお酒をほとんど飲まなくなったし、補助トレーニングをするようになったし。現在の仕事に就いてからは、食べ物にもだいぶ気をつけるようになったし。
今が楽しければそれでいいと呑んだくれていた探検部時代には考えられない激変ぶりだ…笑
三倉にいって、これからもまずは中学生の自分を目指して頑張っていこう思った。(特に体重とか…笑)
また、部活の話とはちょっと異なるが、ツアーにはOSでサクサク登れるチカラが欲しいとやっぱり思った。
岩場ではとにかく下からコツコツ積み上げていこう。ルートを選り好みせずにたくさん登ろう。OSトライに慣れようと思った。
次のツアーまでには自分の成長を感じられるような自分になろう。(全てのサイズの1桁のサクサクOS!)
今年の小川、瑞牆も頑張ろう。
今シーズンも楽しみだ~(*'ω'*)
具体的な内容は次へ(笑)…。
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