そうは言っても、2018年は当たり年だった。
それは赤羽女子会とIJC💖の皆さまとの沢山の活動のお陰である。
OSDリーダー率いる赤羽女子会では、pumpにおいて、効率よく、バランスよくリードクライミングに取り組むことができ、クライミングに対してモチベーションの高い仲間たちとコンスタントに登る機会が得られた。(もちろん神・SM先生の存在も偉大だった)
そしてIJC💖の皆さまとは、岩場での深い気づきと反省と課題を常に自分に提示していただいていた。
クライミングをがんばる全ての人達から刺激を受けた。
今年最大の成果としては、ジムにおけるリードクライミングでコンスタントに成果を上げられたこと。(pump2では、5.11dまでの課題を全完登、5.12aも残り3本。pump1でも5.10台は全完登&5.11a〜dを含めると40本以上完登)。
甲府幕で33本の課題の完登。
また今年完登した、数多くの放置した宿題達。ワニワニワニ、ニルバーナ、デンジャデンジャ、ミンボー、アルタミラ迷いルートなど。
明らかに2017年以前よりは小さな成果をたくさん上げられた年だった。
登山とは、人生とは、自分の理想に向かって、PDCAサイクルを行い続ける事だと教えられて約8年。
バリエーションルート登山をいきなり試みて、死にかける失敗を何度もし、本気で反省がてら、基礎を身につけようと始めたフリークライミング。
そこからフリークライミングに傾倒し、自分とクライミングの関わり方について考え続けてきた。
全くリードクライミングのパートナーが出来ず、毎週御岳にただ1人で脅迫観念に駆られながら通っていた時代もあったし、
お金にも時間にも困らず、自由にクライミングがしたいと考え、「世の中に価値のある特殊スキル」と「ヒューマンスキル」を身につける事だと自分の中で思いつき、60万のローンを組んでヨガの勉強しても全く仕事にできる可能性を感じられない時代もあったし、
自分の頭がおかしいのではないかと自らを疑い、自己啓発本を30冊くらい読んだり、ヨガの聖典の勉強会に毎週通ったり、
クライミングインストラクターになると決め、塾長先生のアシスタントになりたいと言ったものの、講習生以下のレベルだったということもあった。
クライミングインストラクターになりたいと燃えている時代もあったし、その夢を本当に実現したいのかわからない時代もあった。
ただひとつ言えるのは、フリークライミングがとにかく上達したかったし、時間の許す限り沢山登りたかった。
全身がアレルギーに侵され、内臓もおかしくなり給食センターの仕事を続けて行くのは困難だと本気で思った時、
クライマーになりたいのか、インストラクターになりたいのかと曖昧にして濁している部分を本気で決断しようと決めた。
お金も自由な時間も求めず好きな仕事がしたいのか、時間はある程度犠牲にしたとしても、それなりに規則正しい生活を送り、自分のクライミングをコンスタントに続けていきたいのかを考えたとき、体調も含めて私は後者だと思った。
クライミングインストラクターとして独立を目指すより、社会人クライマーとして、クライマーとして大成したい。
一般企業に就職したら、クライミングが満足に出来なくなると今まで恐れ続けていたが、pumpに居る人達は、8割方普通の会社員に見え、個人事業主やフリーターは稀だと気づいた(笑)
自由に様々な国に行きクライミング遠征を長期間自由に行う時間を得るよりも、コンスタントにジムに通ったり、岩場に通うライフスタイルの方が、高難度ルートを目指せる可能性が高く、自分の趣向性にはメリットがある。
そう思って、就職活動を始めた。
はじめは膨大にある会社や職業に、迷って彷徨ってばかりだったが、夜な夜な業界研究と職業研究を続け、長期的に取り組み実力をつけ世の中に貢献したいと思う職業が見つかった。
クライミングも仕事も手を抜きたくない。どちらも全力で取り組み続け、進化と成長を続け、やがて関わる全ての人にエネルギーを与えられる人間になりたい。
そう思えたのは、きっと自分が日々周囲の人達から良いエネルギーと、幸せを与えていただいているからだと思う。
そして塾長先生との日々のディスカッションのおかげだと思う。
リードクライミングがコンスタントに続けられるのは、一緒に取り組んでくれるパートナーあってであり、自由に遊べるお金があっての事である。
その有り難みと周囲への感謝の気持ちを忘れないよう、また継続する為の努力は一生続けていきたいと強く決断した2018年だった。
皆さま、ありがとうございました(^^)
良いお年をお迎えください!
(pump1登り納め:赤羽女子会)
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