HMさんと師匠の見習いにて、マルチ講習。
双子山中央稜を残置無視にて。
精神崩壊や、テンパる事もなく、ショートルートの本気トライ的なクライミングも楽しめたし、ロープを絡ませないことや効率よくロープを裁くことも昔に比べたら各段によくわかるようになったし、なんだか普通に落ち着いて楽しめた気がする。
双子山中央稜といえば約3年前、所属の山岳会の代表と広沢寺や越沢でセカンドのビレイシステム等よくわからないまま、様々なロープワークをほぼ毎週教えていただいていた頃、
「私セカンドのビレイ、できます!」と言って、はじめましての人と行ったのが双子山中央稜だった…笑
私のクライミング経路をたどると、
ハイキング→夏山縦走→大学3年生の時に参加した文登研でアルパインクライミングやりたいと強く思う→
クライミングの種類はイマイチよくわからずインドアボルダリング(アルバイトをはじめる(大学3年生の冬))→
沢登りの連れられ(大学4年生の夏)→
沢登りの連れられに平行してインドアロープ月3回くらい→
冬の八ヶ岳等の簡単な冬のバリエーションの連れられ→
ロープワークがわからなすぎるということで、山岳会に入会(大学4年生の冬→
ゲレンデマルチでシステム練習(広沢寺、越沢、日和田、三つ峠など)→
山岳同人会に入会して初めてのショートルートの外岩(湯川、小川山で「デゲンナー」や「タツノコタロウ」が登れず、クラックは一生リード無理と感じる…(T . T))→
山岳会の人のフォローで小川山みずがきの「セレクション」等のマルチのフォロー(ほぼユマーリング)で完全に絶望(フリーター1年目夏)→
外岩ボルダー(御岳に通う、半年くらい、しかしほぼ何も完登できず…笑)→
Kちゃんとインドアから、沢登りやマルチを目指そうと決める(フリーター1年目冬)→
ビショップにボルダー遠征(フリーター2年目春)→
タイのプラナンに遠征(フリーター2年目秋)→
師匠に弟子入りを懇願(フリーター2年目冬)→
ジムのムーブ講習から受けさせていただき、マルチ講習まで(フリーター3年目の春から4年目の秋)
わーお…改めて書き出すと、私クライミング歴4年と10カ月(ボルダリングジムスタッフを始めた月から換算)。
アルパインやりたい!と思ってから5年以上…笑
そして師匠に弟子入りしてからの1年半くらいと弟子入りするまでの3年半くらいの成長レベルの差が歴然と…笑
一生5.11a以上登れないと思っていた。
一生マルチのリードはおろか、クラックのリードはできないと思っていた。
諦めなくてよかった。
ロープの畳みやスリングの収納を3日くらいやった日々、
城ヶ崎の地上で岩の間にジャミングを決め続けた日々、
ジムをハシゴして、毎日登り続けた日々、
そして沢山の選択。
トップローパーやフォローを辞めるという選択。
飲み会の参加を極限まで絞るという選択…笑
就職するのを辞めるという選択…笑
より山梨方面に出やすくpump2に近い場所に引っ越し、車を買うという選択。
そして自分のクライミングができる仕事への転職。
全ての努力や選択がクライミングの上達を最優先に考えて行われたという事実…笑
(なのにこのレベルなのが、本気でウケるけど…笑)
全ては繋がって前に進んでいた。
日常的には断片的にはさほど気づかない成長。
しかし振りかえってみると、
すごく前に進んでいた。
きっとこれからもどんどん前に進めるハズと本気で想像できることがとても嬉しい。
しかし、自分ひとりでは絶対に歩けなかった道だと思う。
楽しく楽な方へ流されやすい性格も、だいぶ改善された。
本当9割方師匠のおかげなので、恩返しできるようになりたいな。
そして、来年はマルチを勢力的にやっていきたいな〜♡
*****************
1P目: NPの5.10aのラインから上がる(必死にOS)
2,3P目:フォロー
4P目:アルパイングレード3級くらいに感じるラインどり。
5P目:フォロー
6P目:ほとんど歩きセクションで稜線へ。
双子山中央稜を残置無視にて。
精神崩壊や、テンパる事もなく、ショートルートの本気トライ的なクライミングも楽しめたし、ロープを絡ませないことや効率よくロープを裁くことも昔に比べたら各段によくわかるようになったし、なんだか普通に落ち着いて楽しめた気がする。
双子山中央稜といえば約3年前、所属の山岳会の代表と広沢寺や越沢でセカンドのビレイシステム等よくわからないまま、様々なロープワークをほぼ毎週教えていただいていた頃、
「私セカンドのビレイ、できます!」と言って、はじめましての人と行ったのが双子山中央稜だった…笑
私のクライミング経路をたどると、
ハイキング→夏山縦走→大学3年生の時に参加した文登研でアルパインクライミングやりたいと強く思う→
クライミングの種類はイマイチよくわからずインドアボルダリング(アルバイトをはじめる(大学3年生の冬))→
沢登りの連れられ(大学4年生の夏)→
沢登りの連れられに平行してインドアロープ月3回くらい→
冬の八ヶ岳等の簡単な冬のバリエーションの連れられ→
ロープワークがわからなすぎるということで、山岳会に入会(大学4年生の冬→
ゲレンデマルチでシステム練習(広沢寺、越沢、日和田、三つ峠など)→
山岳同人会に入会して初めてのショートルートの外岩(湯川、小川山で「デゲンナー」や「タツノコタロウ」が登れず、クラックは一生リード無理と感じる…(T . T))→
山岳会の人のフォローで小川山みずがきの「セレクション」等のマルチのフォロー(ほぼユマーリング)で完全に絶望(フリーター1年目夏)→
外岩ボルダー(御岳に通う、半年くらい、しかしほぼ何も完登できず…笑)→
Kちゃんとインドアから、沢登りやマルチを目指そうと決める(フリーター1年目冬)→
ビショップにボルダー遠征(フリーター2年目春)→
タイのプラナンに遠征(フリーター2年目秋)→
師匠に弟子入りを懇願(フリーター2年目冬)→
ジムのムーブ講習から受けさせていただき、マルチ講習まで(フリーター3年目の春から4年目の秋)
わーお…改めて書き出すと、私クライミング歴4年と10カ月(ボルダリングジムスタッフを始めた月から換算)。
アルパインやりたい!と思ってから5年以上…笑
そして師匠に弟子入りしてからの1年半くらいと弟子入りするまでの3年半くらいの成長レベルの差が歴然と…笑
一生5.11a以上登れないと思っていた。
一生マルチのリードはおろか、クラックのリードはできないと思っていた。
諦めなくてよかった。
ロープの畳みやスリングの収納を3日くらいやった日々、
城ヶ崎の地上で岩の間にジャミングを決め続けた日々、
ジムをハシゴして、毎日登り続けた日々、
そして沢山の選択。
トップローパーやフォローを辞めるという選択。
飲み会の参加を極限まで絞るという選択…笑
就職するのを辞めるという選択…笑
より山梨方面に出やすくpump2に近い場所に引っ越し、車を買うという選択。
そして自分のクライミングができる仕事への転職。
全ての努力や選択がクライミングの上達を最優先に考えて行われたという事実…笑
(なのにこのレベルなのが、本気でウケるけど…笑)
全ては繋がって前に進んでいた。
日常的には断片的にはさほど気づかない成長。
しかし振りかえってみると、
すごく前に進んでいた。
きっとこれからもどんどん前に進めるハズと本気で想像できることがとても嬉しい。
しかし、自分ひとりでは絶対に歩けなかった道だと思う。
楽しく楽な方へ流されやすい性格も、だいぶ改善された。
本当9割方師匠のおかげなので、恩返しできるようになりたいな。
そして、来年はマルチを勢力的にやっていきたいな〜♡
*****************
1P目: NPの5.10aのラインから上がる(必死にOS)
2,3P目:フォロー
4P目:アルパイングレード3級くらいに感じるラインどり。
5P目:フォロー
6P目:ほとんど歩きセクションで稜線へ。
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